上村理絵さん(英語講師、日本語講師)

現在北海道で英語講師をされている上村理絵さんは、以前はアメリカのハーバード大学やボストンカレッジにて日本語を、それ以前は日本の中学校で英語を教えていたという、とても濃密な経歴をお持ちの方です。一貫して「外国語を教える」という仕事をしている上村さんが、どうやってそのキャリアを築いてきたのかが知りたくて、インタビューさせてもらいました。
底抜けに明るく元気な上村さん。英語が好きで教えるのも得意だから築けた経歴なのだろうと考えていましたが、そのキャリアは「謙虚に自らの未熟さに向き合い、スキルを高めようと試行錯誤してきた結果」だと分かりました。何事も前に進むためには、もがいてみる、とにかく試してみるって大事だなと再認識!
教えることを仕事にしたい人、力不足に悩んでいる人は、ぜひ上村さんのお話を参考にしてみてください。

プロフィール

中学校の英語教師を経て渡米。ボストン市に約15年間在住。ボストンでは、ハーバード大学やボストンカレッジで日本語講師を務める。2021年4月にアメリカ人のオット、9歳と5歳の子どもと共に北海道に移住。数年在日予定。現在は育児のかたわら、英語学校で非常勤講師をしている。またNPO団体を通じて小学校の英語教育にもたずさわっている。

英語講師という仕事

質問 上村さんは元々日本の中学校で英語教師を、その後アメリカで日本語講師をして、最近再び日本へ戻って英語講師をしていますが、最近の仕事の様子を聞かせてください。

今は、英語学校での英語講師がメインで、放課後の時間にあたる夕方から勤務しています。小中英語クラス指導、プライベートレッスン指導、社会人クラス指導などです。
これに加えて、有償ボランティアというような形で、今年度からは週に何回か小学校を回り、英語の授業をしています。


質問 初歩的な質問ですが、中学校の英語の教師になるにはどうしたらよいのか教えてください。

まず、大学や短大で教員免許を取るために必要な授業を受けて、教員の免許を取る。そこから、私のように公立中学校の教師になるのであれば、都道府県の教員採用試験を受けます。なので、もしその後に他県に引越しをしようとしたら、行く先で受け直す必要がありますね。


質問 「将来、英語の先生になりたい」という子どもに、上村さんなら、どのようなスキルを身につけておくとよいとアドバイスしますか?

英語の教師に必要なスキルは、英語力、指導力、人間力かな。それから、ときにはエンターテイナーでなければならないと思います。
ただ、「英語力=指導力」ではなくて、英語力はすごいのにそれを教えられないという人もいるし、教えるのはすごく上手なのに英語力はさほどでもないという人もいる。英語力と指導力のバランスが重要で、指導力を高めるのが大切だと思います。
私も、生徒にどうやって伝えるかという教え方をみがくための研修会に、たくさん参加して努力しましたね。

それから英語力や指導力だけではなくて、広い視野で世界を見る目が重要だと思いますね。言語はそれが話されている文化や歴史が反映されているから。英語に限らず、教師という仕事をするのなら、好奇心は大切にすべきです。
視野の広い先生に、勉強以外のたくさんのことを教えてもらえる子はラッキーだと思うんです。特に教師の世界は狭いですから、教師になりたいと考えている人は、どんな経験でも絶対に子ども達の役に立つので、教師になる前もなった後も、いろんな経験を積んでほしいと思います。
自分が恵まれた環境で育っていなかったとすれば、そういった子がいたときに共感できるし、挫折した経験があれば、そういう状況にある生徒や保護者を思える素になりますよね。色んな感情を経験してきた先生は、共感力が優れていて、みんなに信頼されます。

アメリカで日本語講師となった転機

質問 日本で英語教師をしていたのに、今度はアメリカで日本語講師をすることになったのは、なぜでしょうか?

今はもうありませんが、海外に講師を派遣して現地で日本語を教えるという文部科学省の2年間のプログラムが昔はあって、それに応募してアメリカのマサチューセッツ州に派遣されたのがきっかけです。

当時、日本で教員をやりながらも日々の生活に忙殺されて、指導力をみがきたいと思っていても限界を感じていたんです。その時にそのプログラムを知り、海外に出たら視野が広がると思ったし、そもそも幼いころから海外に行きたい、海外に住みたいという夢があったので応募しました。
私はたまたま英語教師でしたが、他に選ばれた方々は社会だったり国語の教師だったり、行き先もオーストラリアにブラジル、イギリス、カナダと色々でしたね。私がマサチューセッツ州に派遣されたのは、北海道の姉妹州だからです。4月から東京外語大学で日本語講師となるための研修を受けて、9月の向こうの学校の始まりに合わせて世界中に派遣されていきました。

私はボストンの高校で教えたのですが、そこで日本語を教える楽しさに目覚め、また同じように英語講師をしていてイギリスで日本語を教え始めた人の話を聞いていたこともあり、興味が次第にそちらに向いていったんです。その後、日本の中学校に戻って2年間教えましたが、アメリカ人の夫との結婚に伴い退職し、渡米しました。
渡米後は、ボストンのチルドレンズミュージアム(Boston Children's Museum)で週に何度か働いたりしていました。

そんなときにハーバード大学(Harvard University)の日本語講師の募集の案内をふと目にして、「やってみたい」と。その後、ハーバード大学で教え始めましたが妊娠・出産で退職し、1年半ほど経った後に機会があってボストンカレッジ(Boston college)で教えるようになりました。そして第2子出産に伴い再びお休みしましたが、今度は先にハーバードの方から声がかかり。子育てをしながら2つの大学をかけ持ちしていたときは大変でしたね。あれはパートナーがいたからできたって感じで、本当に忙しかった!


質問 上村さんは、教える言語も英語に日本語、場所も日本にアメリカ、教える対象も子どもから大人までと幅広い経験がありますが、どれが一番好きですか?

どれが一番好きとかはないですね。自分の母国語(日本語)を教えるというのは楽しい経験でしたが、今回アメリカから帰国して、新しい視点で英語を教えられていて楽しいです。本当にどっちも楽しい。

ジョン・ハーバード像@Harvard University

渋々なった教員が天職になるまで

質問 いわゆる天職というやつですね。

実際は、親に教員になれと言われて、イヤイヤなったんですけどね。私は母子家庭で育ったので、教員免許を取らないなら学費は払えないと言われて。それで渋々…ですよ。
教える仕事に興味はあったんだろうとは思いますが、最終的には通信教育で大学には行ったけど当時の自分は短大出だったし、田舎から出てきて2年英語を勉強したぐらいで、教壇に立ってもたいしたことは教えられないだろうと。自信がなかったんです。だから、海外に行きたいと考えたり、大学に編入したいなと準備したりしていました。

教員採用試験に受かったので、短大を卒業してすぐ教員になってしまいましたが、同じ短大で受からなかった人には大学に編入した人もいて、私もあのとき受からなければ大学に行ったり、留学したりしていたのかなーと、複雑な気持ちになることがありますよ(笑)。結果オーライですけど。
めぐりめぐって今ここにいるので、そう思えるけど、教員になって7~8年はこのままでいいのだろうかと、ずっと葛藤していましたね。教えることは好きだけれども、いつも他の世界を見てみたいと思っていました。

それで、教員になって8年とか9年目ぐらいだったと思いますが、社会人研修に応募して、1年間ほどJICAで働く機会に恵まれたんです。そこで途上国の人たちにフォーカスして働く人たちと触れ合う機会があり、また違った視野が広がりましたね。あれがすごく良い経験となって、そこで勢いがついてアメリカに行った感じです。


質問 そのJICAでの経験が、文部科学省のプログラムに応募するきっかけになったということですね。

いえ、違います。文部科学省のは、その前に一度応募して落ちているんです。
それで、JICAのプログラムに参加している間に、また文科省で募集があると聞いて応募し採用されたので、そのまま現場には戻らずアメリカに行った感じです。


質問 何度も挑戦するってやはり大切なんですね。以前から、色んな活動を積極的にされていて、本当に経験が豊かな方だなと思っていたのですが、やはり面白い歴史をお持ちですよね。

そうですか、暗黒の時代が多いですけどね(笑)。


質問 上村さんにはそういった背景があって、積み重ねてきたものが多いから、授業で生徒が受け取る情報がリッチになり、授業が楽しくなるんだと思います。

自分でもそう思います。
あの教師になりたての二十歳の頃の葛藤というのは、積み上げたものがないのに教壇に立つことへのためらいだったんですね。そういうことを感じずに立てる人もいると思いますが、自分は学生の時からそれを感じていて…。
当時は自分には人間力が不足していると思っていたので、人一倍努力しないといけないと念じていて、自分にプラスアルファを身につけるには、何をすべきなのかを常に考えていました。

授業の風景

語学講師としての未来

質問 英語は今では小学校から学ぶようになり、今後も学校教育の場においては英語を教えられる人材は必要とされると思いますが、例えば大人の世界においては、粗さはあるとはいえ翻訳アプリで文章をサクッと翻訳できたり、音声の即時通訳の機能がすごい勢いで発達してきたりで、外国語を学ぶ必要がなくなるのではないかと思うのですが、教える人たちの間ではどのように考えているのでしょうか?

民間の英語学校では、需要は減ってきているのかなと思います。コロナもあり、旅行者も留学しようという人も減っていますので。
でも、便利なツールが出てはきていますが、英語を学ぶっていうのはそれ自体がおもしろいことですので、英語教育自体はなくなることはないだろうと考えています。人の気持ちや微妙な変化、成長などを察しながら、個人に合ったアプローチをすることは生身の先生にしかできないはずですしね。ただし、教育にテクノロジーをうまく取り入れていくことが求められていくだろうと思います。

海外に住んでいると、日本人は英語を正確に話そうとするがために、全然話せない。でも、他の国の人たちは、文法がメチャメチャでもまくし立てて必死に話し、それを何も言わずに穏やかに見守っているのが日本人のあるあるじゃないですか。
日本に帰国してきて、また英語を教える段になって、間違っていても話そうという度胸って大切なスキルなので、それをどうやったらはぐくめるのかなということを考えています。性格の問題ももちろんあると思うのですが、英語教育に限らず、そもそもの教育の問題ですけれども。日本人はどうしても同調してやり過ごしがちですが、ディベートだとか、クリティカルシンキングを育てるような教育が必要ですよね。家庭にも多少は原因があるのかもしれないけれども、それだけでなく学校や社会で同調せずに反対意見を言える土壌が必要ですよね。


質問 英語講師は稼げると思いますか?

英語講師に限らず、雇われて教える仕事は、仕事量の割にはあまり稼げないです。教育への情熱が必要ですよね。


質問 そういう状況の中で、上村さんはこれからも語学を教える仕事をしていくと思うのですが、生き残るための戦略はどう考えていますか?

戦略ねぇ…。いままさに考えているところですね、私にしかできない英語教育って何だろうかと。
自分のライフスキルと、英語を教えるということと、どう組み合わせてマーケティングしていこうかと。コーチングの資格を取得しようかとも考え始めています。

将来はスナックを開きたいですね!いままで私が培ってきた技術って、色々な人の悩みを解決するのに絶対に役立つと思うんです。


質問 いま苦労されていることってありますか?

いま苦労しているのは、ワークライフバランス。子どもが生まれる前は自分のペースでガンガン進められたことがなかなかできなくて。
本当は毎日でも働きたいけれど、英語学校は夕方からで…。その時間は子育てのゴールデンタイムだから、すべてパートナーに丸投げすることはできないですよね。

苦労というわけではないですけれど、教育はゴールが見えにくい業種で。教え方の研究にも終わりがないので、常に修行ですよ。
ですが、教えることが好きなので、教えているときはいつでも楽しいです。Teaching is learningで、教えながら自分も成長できている気がするんですよね。

オフタイムの上村さん

質問 大変でも続けられる理由は?

今の私の原動力は教え子の存在なんです。二十歳そこそこで教師になって、未熟ながらも真摯に向き合った教え子たちが今は大人になり、色々な人生を歩んでいます。留学してボストンに会いにきてくれた生徒も何人かいるし 英語の先生になった子もいます。教育はゴールが見えにくいけれども、何年も経ったときに嬉しい再会や発見があって、それがたまらなく嬉しくて、今の私の原動力になっています!

上村さんから、子ども達へのメッセージ

今、皆さんの目の前には、無限の道があります。どの道を歩むか、悩むこともあるでしょう。
でも、どの道を選んでも、その道にしか咲いていない花、その道でしか出会えない人がいます。回り道をしても、遠回りしてもいいんです。いろんな経験をして、色々な環境や人に刺激を受けて、「人間力」を高めながら、ゆーっくりやりたいことを見つけてくださいね。

40代後半の私ですが、まだまだやりたいことリストたくさんあります!この先おばあちゃんになっても、やりたいことリストを実現するエネルギーを持ち続けるつもりです!


上村さん、ありがとうございました!

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