横山仁美さん(メーカー調達部門の企画職)

アメリカの日系企業で働いている横山仁美さんは、アルバイトからコツコツとキャリアを積み上げてきた方です。はっきりとした目標がないという子ども時代を送り、就職氷河期に社会に出るという状況のなかでも、働くことが好きだから続けてきた結果が今だと語っていました。
子どものころから「私の職業はこれ!」と決められる人よりも、横山さんのように、分かりやすい目標を見いだせないまま、社会人になってしまう人の方が大多数な気がします。そういう状況の中でも、半歩でも前に進めるようチャレンジングな方を選ぶという横山さんの話は、とても現実的で、職業というのは小さなことの積み重ねの上にあることが伝わってきます。
将来の目標が見つからない、何をやったらよいか分からないという方は、ぜひ横山さんのお話を参考にしてみてください。横山さんの自己肯定感を育んだのは、お母様の励ましもあったようですよ。

プロフィール

大学院にて日本文学修了ののち、一般企業の人事部へ就職。その後、研究職の夫に伴い渡米。美術館でのボランティアやアルバイトを経験したのち、日系企業に採用される。人事部、経営企画部と経験を積んだものの、育休明けからの職場復帰2週間後に会社合併のため解雇される。再就職先の現職はLinkedIn経由で誘いを受けたことがきっかけで入社。芝刈り機などの汎用製品を製造している会社の調達物流部の企画グループに所属している。
日本人夫と5歳、2歳の子どもの4人家族。

アメリカでのキャリアはパン屋から

質問 現在の仕事の内容を教えてください。

私が現在働いているのはアメリカにある日系企業で、芝刈り機や発電機などを作っている会社の調達・物流部門の企画部というところです。そこでは、部内の予算の管理や社内の月次報告の資料作成、ISO(製品の国際規格)の資料管理や社内監査の対応、部内教育、年度考査を段取りするなど、色々なことをしています。


質問 今の会社に就職するまでの経緯を教えてください。

日本に住んでいた時は、製造業の人事部や広報部で4年間働きました。その後、研究職の夫に伴い渡米し、直後は語学学校に通ったり、ボストン美術館でボランティアをしたりしました。
その後はカフェというか、日本のパン屋にイートインがあるような店舗でアルバイトを始めたんです。1人で店番をするので、何があろうと交代の人がくるまで耐えなければなりませんから、英語の武者修行のつもりで。本当に1人で切り盛りしていたので、食パンが何斤も載っているトレイを持ち上げてギックリ腰になった時は、交代が来るまでの数時間は死ぬかと思いましたよ(笑)。


質問 異国で1人店舗という厳しい環境に飛び込んだのはなぜですか?

語学学校に飽きてしまったんです。語学学校には色々な国から人が来て、それはそれで楽しいのですが、現地の人は先生だけ。なので、現地の人とコミュニケーションがしたくて、カフェに飛び込んだ感じです。

語学学校からコミュニティカレッジなどの学校に入るという選択もあったかもしれませんが、当初は日本に帰国するつもりでいたので、手っ取り早くもっと英語に親しめる環境にいたいと考え、接客業を選びました。お客さんと私だけという全く逃げ場のない状況で、英会話を成り立たせないとならないですからね。自分を谷に突き落としました
でも、オーナーが日本人だったし、扱っているのもアンパンとかコロッケパンとか、日本人に馴染みのあるものだったので、少し気が楽でした。

あとは夫が当時、ポスドク(博士号取得後、任期付きの職に就いている研究者)の3年目に入って、お金がなかったというのも大きいです。パン屋なら、売れ残りのパンを持って帰れますから(笑)。アメリカのポスドクは最初の2年は税金が免除されますが、3年目から課税してくるので、急に家計が苦しくなるんです。そういう事情もありました。

パン屋から日系企業の企画職へ

質問 その後も、色々とチャレンジされていますよね。

夫はその後、アメリカの大学に勤めることが決まったのですが、グリーンカード(アメリカの永住権)を取得するまでに、2年ほどかかったんです。ビザ(滞在許可証)の関係上、その間は働けなかったので、暇を持て余してフェアトレードの店でボランティアをしたり、グループに加わって大学の時にしていた茶道を再開したりしました。

グリーンカードを取得した後は、短い期間でしたが日本語学校で高校生や大人向けに日本語教師をしました。大学のときに日本文学を専攻していたので、それが役にたちましたね。

その後、自動車の動力装置を作っている現地の日系企業の人事部の駐在員お世話係として転職しました。日本から来る駐在員のビザや住居などの面倒をみるような仕事です。そして経営企画部に移ったんですが、そこは年度ごとに会社の方針を決めたり、内部監査の資料を作ったり、広告を出したりするような、他の部署に割り当てられない諸々の仕事をするような部署でしたね。ですが、第2子の育休が明けて復帰した2週間後、会社合併のあおりをうけて、解雇されてしまいました

それで転職活動を始めたのですが、LinkedIn(ビジネス特化型のSNS)経由で当時の部長から声をかけられ、現在の会社に就職することになりました。前の会社と現在の会社で、私の仕事内容はほぼ同じなので、丁度あてはまる人材がいると思われたのだと思います。


質問 LinkedInは日本ではあまり普及していない印象ですが。

アメリカ人は結構使っていますね。それでコネクションをつくり利用していきます。私も、レジュメを公開しておいて、求職していますということをアピールしていました。静かな就職活動というイメージでしょうか。

横山さんの商売道具

質問 今の仕事をするのに必要なスキルはありますか?

英語力と一般的なオフィスソフトを利用できれば大丈夫です。

スキルが足りているかは、自分で判断すべきではない

質問 仕事で苦労されていることを教えてください。

いつまで経っても英語が下手なことです。


質問 海外で働いているのに、そんなわけはないと思いますが。

もちろん、パン屋で働いていた頃に比べたら格段に良くはなっていると思いますが、自分の英語に自信を持って働いているわけではありませんよ。私は元々英語が苦手で、大学のときなんて本当にヤバかったですから(笑)。


質問 日本には、いつか海外で働きたいからと英語を勉強し、色んな検定を受けたりしているのに、いつまでも「自分はまだそのレベルでは…」と言う人がたくさんいますが…

私の場合、日本語が特技となるから日系企業に入ったものの、仕事の98%は英語です。ですが、英語が完璧でないと海外で働けないということはないですよね。

もちろん、パン屋で求められる英語力とビジネスで求められる英語力では、大きな差はあります。けれども、どのレベルが必要か判断するのは採用する人なので、自分で勝手にハードルを高くせずにトライした方が良いと私は思います。落ちたら辛いのは分かりますが、会社はたくさん存在して、採用してくれる会社は必ずありますから。それは英語に限った話ではないですよね。単に自分に合わなかっただけととらえて、他を当たればいいだけです。もちろん、勉強や努力も必要ですけれども。

私は日本に帰らないことになったとき、バイトじゃなくて企業の正社員になりたいという目標ができたので、一つ一つ積み上げていった感じですね。


質問 仕事を続けていくには、柔軟性が大切だということですね。

私の今の仕事は「子供の時に思い描いていた憧れの仕事」ではありません。それに外国で仕事をしているなんて、昔の私には想像すらしていなかったです。ただ、社会の一員として「仕事をする」ということが好きで続けてきました。その時々で、何でもいいからやってみようと、自分にできる仕事を続けてきたら、気がついたら海外で製造業の企画部の人になっていた感じです。とにかく、落ちているチャンスを拾っていくだけだと思います。

実際、前の職場を解雇された後、似たようなビジネス環境にある現在の職場に声をかけられて拾ってもらった感じですが、その間には全く違う業界の会社に落ちているんです。面接が下手くそすぎて(笑)。だから子育てに追われながらもインタビューは真面目に練習しましたよ。とにかく、腐らずに続けるだけです。

どんな仕事をするにも、自己肯定力や立ち直りの早さは大切だと思います。あとは「自分にできる」と思えるものを、たくさん持っていた方がいいですね。

挑戦的にふるまえる理由

質問 横山さんって、挑戦的というか冒険的ですよね。

そうですね。迷ったら、より挑戦的・積極的な方に動きます。
面白そうじゃない方をとってもしょうがないと思うタイプなので、よりワクワクする方を取ります。第六感を頼りにしているというか、直感的に動いてしまうというか。

それで時々失敗しますけど、同じことをずっと続けたいと思わないんです。半歩でもいいから、自分が成長できる、前に進める方をとりたいです。

車通勤で運動不足のため、会社敷地内をウオーキングしている

質問 そういうチャレンジングなところは、生まれもってのものだと思いますか?

んー、分からないですね。そもそも自分はネクラだと思いますし(笑)。
私は要領の悪い子だったと思うのですが、友達を作るのだけは得意で、いつも周りに声をかけて人を集めていました。それを母親は「お友達づくりの名人ね」と認めてくれました。その結果、自己肯定感が強く積極的に物事に取り組めるようになったのかもしれませんね。


質問 今の仕事は稼げますか?

お金持ちにはなれないかもしれませんが、堅実に稼げます。


質問 これからを生き残るための、横山さんなりの戦略を教えてください。

アメリカでは突然の解雇はよくあることなので、常にレジュメをアップデートしたりなどしています。どの会社に行っても使えるスキルを磨いたり、ISOなどの専門性を高めたりし続けることで、社会から求められる人でありたいと思います。

それから、アメリカでは日本企業の存在感は希薄になってきましたが、まだまだバイリンガルで得をすることもあると思います。


質問 アメリカ人は解雇されることに慣れているから平気と聞きますけれども。

そんなことは絶対ないです!解雇されたときには、怒りまくる人、悲しみにくれる人、とにかくいろんなタイプの人がいます。暴れて警察を呼ぶようなこともあるので、解雇された日は本人が荷物をまとめて帰るまで、警備の人がエスコートします。私も、12週間の育休が明け、色々と手はずを整えて復帰した直後に解雇されたので、それはそれは悲しかったですよ、5年も勤めていましたし。

でも、そういうのを乗り越えて、やっていかないとならないっていうだけです。

子供を遊ばせながらの在宅ワーク

横山さんから、子ども達へのメッセージ

私は「目標が見当たらない、何をやっていいかわからない」、そんな子供でした。今でも目の前にある小さな課題を一つずつやっている状態です。

今やっていることが一見無駄なようなことに思えるかもしれませんが、いつ何時そのスキルを使うときが来るなんて誰にもわかりません。例えば、私は大学院で勉強していた浮世絵の知識が、ボストン美術館でのボランティアで役立ちました。ビジネスの世界では全く無駄と思えるようなスキルも、ひょんなことから使うチャンスが訪れることがあります。勝手に決めつけず、自分の引き出しに貯めておけばいいと思います。

なにより、焦らず腐らずに前に進めばおのずと道は開けるので、歩み続けることが重要だと私は思っています。


横山さん、ありがとうございました!

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