上田めぐみさん(国際協力ワーカー)

国際協力のフィールドで長年活躍されている上田めぐみさんは、仕事と子育てで忙しいうえに、選択的夫婦別姓の法制化を求める市民活動にも取り組まれている、非常に精力的な方です。
国際協力の仕事というと、人気があって非常に狭き門というイメージですよね。多くの方が憧れる仕事をしている上田さんに、発展途上国の人々のために尽くすというやりがいだけでなく、実際にキャリアを積んでいく上で苦労されてきたこと、歳を重ねてきたからこその気づきに加え、子どもたちへのたくさんのアドバイスをうかがってきました。
社会人なら多かれ少なかれ、しんどくて辛い職場の人間関係に悩んだ経験があると思いますが、逃げるというのも選択肢の1つだし、給与や待遇からやりたいことを続けられないとか、共感できるお話も満載です。そんな状況でも、仕事を続けていくために策を練る姿勢や、1つに絞りきらず複数の選択肢を持つべきという上田さんの言葉は、めしのタネの理念と通ずるところがあって勉強になりました。

プロフィール

北海道生まれ。国内の大学卒業後、イギリスの大学院に進学し開発学部修了。フランス留学を経てJICA、NGO、日本赤十字社等に勤務し、南米やアフリカをフィールドにジェンダー平等、母子保健、復興支援等の開発協力事業に従事。現在は開発途上国の人材育成機関の職員。

国際協力という仕事

質問 これまでの経歴を教えてください。

私は子どものころにジェンダーの問題に興味を抱き、大学でそれを学んだ後、イギリスの大学院の開発学部(開発におけるジェンダー分析専攻)を修了しました。その後、フランス留学を経てJICAの青年海外協力隊に参加した後は、専門家としてJICA、NGO、日本赤十字社で勤め、ジェンダー平等、母子保健、復興支援等の開発協力事業のプロジェクトを管理する仕事をしてきました。

ナイジェリアの女性センター支援プロジェクト

質問 途上国の開発協力というのは、具体的にはどのようなことをするのですか?

例えば、私がナイジェリアで関わったJICAのプロジェクトでは、女性が職業訓練を受けられるような施設が現地にあったんですが、箱はあるけれども活用されていない状態でした。JICAのプロジェクトは、日本政府が現地からの要請を受けてスタートします。対象地域を選定し、対象の州の行政官と協議しながら合意文書を締結し、さらにその下部組織の窓口となる担当者の紹介を受けて、実際の活動が始まります。担当者と相談しながら職業訓練のための講師を手配し、女性グループが受講する仕組みを作り、女性が自分で稼げるようになることを目指しました。日本での研修も実施し、ナイジェリアどころか地元から出たこともなかった女性が、日本の女性起業家の活躍を視察して、目を輝かせながら自身の小規模ビジネスや夢について話していた姿も印象的でした。

また、日本赤十字社では母子保健の事業を担当していたのですが、赤十字社は基本的に各国に1つあるので、政府同士ではなく、例えば日本とウガンダの赤十字社同士が約束を交わして、支援が始まります。ウガンダでは紛争後まだ厳しい状況にいる人々に対し、定期的な妊婦検診や安全な出産を促進する事業を行いました。現地の村落部では、妊婦検診が大切だという意識が薄く、母体のために妊娠間隔を空けた方がよいとか、自宅よりも医療機関で出産した方が安全だという知識がないために、危険な妊娠・出産を繰り返す女性がたくさんいます。現地のクリニックを受診したらママバックをプレゼントすることで、妊婦検診を普及させ、パートナーの男性への啓発も行いました。ウガンダの村落部では、出産する人が必要な物品を病院に持参しなければならないので、出産時に必要な防水シートやタオル、へその緒を切るカミソリ、赤ちゃんの肌着、石鹸、薬などをバックに詰めて配ったんです。女性が妊婦検診を受けて、クリニックで安全に出産するというモチベーションを向上させることができました。

その時々でプロジェクトの内容は異なるのですが、現地の省庁をはじめ、関係者をコーディネートすることでプロジェクト目標を達成するのが私の役割です。


質問 現在の仕事について教えてください。

今は開発途上国の人材育成を行っている機関で働いているのですが、この機関は今、変化の真っただ中にいます。これまで、途上国で自動車部品や金型部品などのモノづくりをする人たちを日本で研修したり、日本の専門家を現地に派遣したりしていたのですが、時代の変化に伴い、製造業以外のニーズが増えています。例えばITのオフショア開発(システム開発などの業務を人件費の安い海外で行うこと)のための人材育成や、日本式おもてなしやサービスが提供できる人材の育成といった新たな分野での指導も必要になってきたのです。いずれにせよ、日本の技術を海外に移転したり、日本の制度を海外で普及させたりすることで、海外に進出する日本企業を支援するような組織です。

今まで私がしていた仕事とはちょっと毛色が違い、現在は専門家ではなくコーディネーターとして働いています。人材育成に特化した国際協力といったところでしょうか。
コロナ禍を機に、出勤と在宅勤務を組み合わせられるようになったので、週3回ほど出勤していますが、3歳の子どもがいるため、朝から晩までドタバタですね。
加えて2018年からは、選択的夫婦別姓の法制化を求める市民活動もボランティアで行っているため、育児、仕事、活動ととても忙しく、毎日疲れています。

国際協力の仕事をしたいと考えているなら

質問 国際協力の仕事をするにあたり、必要なスキルは何でしょうか?

英語は必須ですが、加えてもう1~2言語できると良いと思います。あとは、海外の大学院での修士号開発途上国での活動経験、そして健康であることが求められます。


質問 あると優位なスキルやキャラクターはありますか?

人とすぐに打ち解けられるスキル、自分を主張できるスキル、事務処理能力、そして私はあまりないのですがユーモアのセンスでしょうか。

また、海外で仕事をするなら、「まぁいいか」と思える性格は必要だと思いますよ。日本人は真面目なので、「これはこうあるべき」という考えが強いのですが、海外では、あと1時間が1週間になったり、1ヶ月が1年になったりするのが当たり前なので、諦めも肝心です。

ウガンダでボランティアや受益者からヒアリング

質問 苦労が多そうですね。

そうですね。開発途上国で省庁の人と交渉する際、アジア系の女性はどうしても若く見られがちです。男尊女卑な社会の中で、女性で、しかも若いと思われると見下される場面が多く、悔しいこともありました。日本では若いのはよいことと思われがちですが、私は自分にもっと貫禄がつけばいいのにとよく思っていましたよ。

今の仕事は現地での交渉事はないですが、職場の昭和な雰囲気、例えば紙大好き、ハンコ大好きといったオッサン文化の蔓延に苦労していますが、改善できるよう頑張っています。国際協力と聞くとグローバルスタンダードな環境だと思われるでしょうが、いまだに根性論を振りかざすような世代の職員も多いですよ。


質問 それでも続けてきたのは?

様々な国に行きましたが、やはり日本のインフラの整備状況、例えば水まわりがキレイで停電が少なく、公共交通機関が正確なことや、役所関係の手続きがスムーズなことは、とても住みやすいと感じます。ですが、海外でたまに起きる「ミラクル」を経験すると楽しいなって思います。政府高官にアポなしで突撃して大事な書類にサインをもらえるとか、渋滞にハマり飛行機の出発時間ギリギリに空港についたのに乗れちゃったとか、日本ではあり得ないことがたまに起こる。

そして、あなたのプロジェクトのおかげで安全な妊娠・出産について理解したとか、地域の保健状況が良くなったとか、あなたと一緒に働けて良かったとか、現地の人に言われるのは嬉しいですし、国際協力の仕事をやっていてよかったと思います。
ですが、国際協力にはいろんなフェーズがあって、例えば現在のウクライナのように、必要なモノを届けるという緊急人道支援フェーズは成果が分かりやすいですが、その後の現地の人々の自立を支援する開発支援フェーズは、より難しく結果も出づらいです。プロジェクト期間は5年だとしても、自分が関われるのは1~2年という限られた時間であることがほとんどです。未練を持たないことも必要ではありますね。

転びながらも、ようやく歩いてきたキャリアです

質問 中学の頃から選択的夫婦別姓に興味があったということですが、そこから国際協力の方に進んだのはどうしてですか?

元々、ジェンダー問題と並行して、海外にも興味というか憧れを抱いていました。国際協力の仕事のイメージがあまりなかったので、当時は単純に外国語を話せるようになりたいとか、海外に行ってみたいとかいう程度ですけど。ジェンダー問題への興味から大学では法学部で家族法を学んだのですが、徐々に日本だけではなくて世界のジェンダーの問題を学びたくなり、イギリスの大学院に進みました。自分の興味と大学・大学院での学びがちょうどクロスしたところに、国際協力の仕事があったように思います。

ジェンダー問題を学んで、世界の女性のために働きたいと思っていましたが、海外で学んだからこそ、日本のジェンダー状況のいびつさがわかり、日本の状況をもっと良くしたいという気持ちが大きくなりました。現在、選択的夫婦別姓の法制化を求める活動をしているのもその一環です。市民活動を続けていくためにも経済的基盤が必要ということで、この仕事を続けているという側面もあります。


質問 上田さんの経歴は真っすぐ着々と築き上げてきた感じで、順風満帆に思えます。

全くそういう感じではないですよ(笑)。国際協力の仕事はしたいけど、情報が少なくてどうしたら良いのか全く分からなかったので、手探り状態でしたね
大学のときは、皆と一緒に就職したいとは思っていなかったし、将来の仕事のイメージも描けていなかった。自分の興味の向くまま、大学卒業後はイギリスの大学院に進みました。そこでフランス人の恋人と出会ったんです。せっかくならフランス語を勉強しようと大学院修了後にはフランスに2年留学しました。若いって勢いがありますよね(笑)。
その後、JICAの海外青年協力隊でボリビアに2年派遣されました。

そして31歳でようやくJICAの専門員の仕事を始めたので、私の社会人デビューはとにかく遅かった。そういう状況なので、一般的な常識はあっても、例えばメールはすぐに返すといった日本の社会人としての常識が欠けていたので、1年目は風当たりが強く、自分でもわけがわからず、本当につらかったです。専門家待遇で入ってしまっているから、即戦力だと思われて、誰も仕事の基本を教えてくれないですし。周りに嫌がらせをされたりしたこともあります。同じチームで私より年上で経験もあって、仕事もできるけれど、職位は下の人でした。そういう人から見たら、仕事もまともにできないのに待遇が良い私は、面白くない存在ですよね。今なら分かりますが、当時はとにかく毎日が辛く、そこから離れたくてアフリカの仕事を受けたんですが、そこでもパワハラを受けたりしましたし。転びながら、ようやく歩んできた感じです。JICAとの契約が終わり帰国したときは、国連職員になろうと思っていたんですが、2年連続で面接で落ちてもいますし、順風満帆なんかじゃありません

日本赤十字社では、アフリカ担当が自分しかいなかったので毎月のようにアフリカに行くこともあり、それはそれで楽しかったのですが、徐々にこれは体が持たないなと思い始めました。そして3年の契約が終わったときに時間に余裕ができて、いまなら子どもを持てるかもと思って妊活を始めたんです。その頃、現在の職場に有期職員として採用され、いつやめてもいいつもりで働いていましたが、たまたま社会人採用され、産休も育休も問題なく取得できました。捨てる神あれば拾う神ありとは本当で、仕事がない期間もありながらも、なんとかやってきたというだけですね。


質問 何でもバリバリこなせる人という印象は変わりませんが、苦労を軽々と乗り越えているわけじゃないことを知れて勇気づけられる人も多いと思います。

私のように国際協力に関わりたいという人は、どういう風に関わりたいのかをよく考えた方がいいと思います。国際協力と言っても、今はいろいろな方法がありますよね。海外で働くのか国内で働くのか、専門性を活かすのか、ジェネラリストとして事務処理能力を活かすのか、NGOやNPO職員、企業のCSR担当、ボランティア、寄付をする、などなど自分次第でどのようにでも関わることができます。
加えて、いくつか選択肢を持った方がいい。昔の私のように、国連しかないんだと思い詰めるのは間違いで、国連で働きたいから働くのではなく、自分の専門性があって、その先にたまたま国連のポストがあるというのが理想です。NGOで働いたこともあるのですが、そこは待遇が劣悪でこの給料では無理…という経験もしましたし。今振り返ると、もし国連で働いていたら、私の人生に結婚も出産もなかったとも思うので、1つに絞らず自分の中に色々な選択肢を持った方が良いです。

本当に八方ふさがりの時期もあって、思うような仕事が見つからず銀行口座の残高にヒヤヒヤしたことも…。人生には良いときも悪いときもあるので、それを受け入れ、流れに身を任せるようにしていたら、それまで蹴破ろうとしても開かなかったドアが、自然にパタパタと開く瞬間があったような気がしています。

家族写真

国際協力の仕事の今後の見通し

質問 国際協力の仕事の今後の見通しと、その中で生き残るための上田さんなりの戦略を教えてください。

国際協力の仕事がなくなることはないと思いますが、専門性を持って仕事をしたくても、国際協力にはトレンドがあるので、時代によってはその分野の仕事があったりなかったりという波があります。そのためにもアピールできる分野は複数持っておいた方がいいと思います。
例えば私なら、ジェンダーと開発という分野で働いてきましたが、さらにリプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)や復興支援等の知識を深め、専門的な強みを増やしました。たくさんの分野で修士号を取るのは難しいので、自分の軸を1つ決めて、そこに他の分野も付加していく。
いつの時代も「トレンドワード」があって、それに関連する案件が出てくるので、できるだけアンテナを広げて、自分の守備範囲をうまくトレンドに合わせる調整力も必要です。

今の職場は省庁から事業を受託しているので、制度の枠や予算が見直されたりすることもあり、それによっては所属団体の縮小や消滅の危機はあると思っています。なので、一人でもコツコツと仕事をやっていけるように、語学を磨いたり、通訳案内士、行政書士、ファイナンシャルプランナーといった資格を取得していて、独立の道も考えています。


質問 稼げますか?

所属先と職種次第だと思います。専門性にはこだわらず、どんな部署でも働くと割り切って、大きな国際協力団体の正職員になれば安定はあります。
でも、専門家として仕事を続けたいのであれば、基本的に国際協力の仕事は契約をつないでいくことが多いので、待遇は良くても不安定で人生設計が立てにくく、職業を変更する人も多いです。
NGOはまったく稼げないので、とりあえず業務経験をつくりたいとか、1年限定とか、何かしらの目標を持った人以外には勧めません。

私の場合、長い間契約をつないできましたが、現在は幸運にも正職員になれたので、安定した生活は送れています。契約をつなぐ形で国際協力の仕事を続けている人は、必ず「このままでいいのか?」と立ち止まる時がありますね。

ケニアでプロジェクトのモニタリング

上田さんから、子ども達へのメッセージ

私は北海道出身なのですが、田舎にいると周りは似たような人ばかりで、色々な人には出会えませんでした。専業主婦だった母からは、自立した女性になれと期待をかけ育てられましたが、その世代で女性が長く働き続けられる職は教職か看護師・保健師で、どれも関心がなかった私は、何を仕事にできるのかイメージできずにいました。田舎と都会では情報量も違うし、今のようにインターネットで何でも調べられる時代ではなかったので、大学で本州に出るまで、本当に何も知らなかったなぁと思います。

そういう経験もあり、自分の出身地は一度離れた方がいいし、環境が許せば海外留学もおすすめします。自分の地元や日本を外から見る経験は絶対に必要だと思うんです。日本の良さもわかる一方で、どれだけ国際基準から外れているかもよく分かる。
若いうちにどれだけ多様な人と出会えるかが、その後の人生を豊かにすると思っています。

私は社会人になったのが31歳と遅くて、それで苦労したことはありますけど、取り戻せるものだなぁと。なので、「進みがゆっくりでも心配しなくてもいいよ」と、これを見ている子ども達には伝えたいですね。

そして自分の好きなこと、関心のあること、得意なことは大事にしてほしいと思います。私も幼い頃からのジェンダー問題への関心や、語学への興味が今の自分や仕事につながっています。人間、たったひとつでも好きなことがあると生きていけるんですよ。


上田さん、ありがとうございました!

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