大島亜希子さん(カフェのオーナー)

今回ご紹介する大島さんは、夫婦で農機具の輸入販売業をしながら6人ものお子さんを育てあげ、残りの人生は好きなことをしたいと、最近になってカフェを開業されました。目が回りそうな日常をやりくりし、子育て卒業と同時にカフェをスタートさせた方とは、どれほどのバイタリティをお持ちなのだろう…と気になりますよね。
とても明るくケラケラと笑う大島さんですが、子どもの頃はいまでいう発達障害で、落ち着いて椅子に座ることができずに小学校時代はイジメにあったこと、親の理解が得られず荒れた中学時代など、ご自身の原点となった体験も含めて丁寧に話してくださいました。ポニーランドが放課後の居場所となり、そこから家畜の世話に目覚めて農業高校に進んだところから、大島さんは変わっていきます。家や学校に居場所がないという子や、発達障害のお子さんをお持ちの方には是非参考にしていただければと思います。自らの親を反面教師として子育てをしたという大島さんのお子さん達は、美容師に美大生にロケット素材の研究者にと、それぞれ全く別の道に進んでいるそうです。
極度の貧乏生活も経験し、人生の様々な局面で多くの人に救われたという大島さんは、農村地帯に住んでいなかったら子ども食堂をオープンしたかったのだとか。自分のように悩む子ども達の助けになりたいと考える大島さんにとって、カフェは目的地ではなく通過点に過ぎないとのこと。こちらの身もキュッと、引き締まりました。

プロフィール

1967年生まれ、東京出身。農業高校を卒業し、那須高原の観光牧場に就職したのち結婚。長野、栃木を転々とし北海道に移住。札幌、旭川、帯広、芽室と移り住む。北海道に移り住んでからは、酪農ヘルパーや畑作農家のお手伝いをしながら夫と農機具の輸入販売業を起業。三男・三女が巣立った50代から残りの人生は自分の為に好きなことをするぞ〜と決意!趣味を続けながら週末caféをオープン。

café vind skov
https://www.instagram.com/vind_skov/

農業高校に進むまでは不登校だった

質問 農業高校を卒業されたということですが、出身地の東京では珍しいのではないでしょうか?

私は東京で唯一、牛豚鶏などの家畜がいる農業高校に通いました。東京の東の端に住んでいたので、そこから西の端にある高校までは片道3時間もかかりましたね。
それだけ遠くの高校に通ったのには理由があって、当時の私は家に居場所がなかったんです。小学生のときにイジメにあったんですが、私の親は「負けちゃダメ」とか「一番になれ」というような親で、常に姉と兄と比較されては、できないことばかりを指摘されました。それで家にいたくないので図書館や、近所にあったポニーランドというのに通っていて。放課後はポニーランドで働くおじさん達とずっと過ごしていて、そのときに家畜のいる農業高校を教えてもらい、そこへ進学したいなと。中学は校区外の学校に通えたので、イジメからは脱出できていたのですが、今度は荒れまして(笑)。朝に家は出るけど、昼に着いて給食だけ食べるような感じだったので、先生にも親にも農業高校は無理だと反対されました。「中学ですらまともに通えないのに、片道3時間もかけて通学できるはずない」とか、親は世間体を気にして「農業なんて恥ずかしい」とか。ですが、ポニーランドに出入りしている獣医さんが乗馬クラブを経営していたので、「受験で落ちたらそこで雇ってください」とお願いし、そうやって周囲を説得して受験し、合格することができました。


――不合格だった場合の道を自ら用意し、周囲を説得したというのは、中学生とは思えない行動力ですね。

とにかく家を出たい、早く自立したいというのが当時の目標で、それしか考えていなかったからでしょうね。

高校では、夏休みを利用して北海道に酪農実習に来たのですが、指導してくれる農家さんが忙しいということもあって、大人の監視下にあるのではなく、初めて作業全体を“任せてもらう”という経験をしたんです。それまで、親や先生に口うるさく指示されていたので、作業を任される、そして褒めてもらうというのが、とにかく嬉しくて。自分も変わっていきました。
高校は真面目に通いましたね。学校には馬はいませんでしたが、牛の勉強をしたら面白くなってしまい、牛と馬の両方をやりたいと考えて那須高原の観光牧場に就職しました。

自宅を改築した「café vind skov」

夫とともに農機具の輸入販売業を起業

――最初の仕事は観光牧場だったんですね。

私は牧場で家畜の世話をしていたのですが、そこで宿泊施設や売店などのマネジメント業務をしていた夫と結婚し、子どもが生まれました。

その後、観光牧場を2人で辞め、最初は長野で暮らしました。私は2人目が生まれたばかりで、夫は半年間失業手当を貰って。ただ長野は自分達には合わないねということで、栃木県小山市の夫の実家のそばへ移り住み、夫はサラリーマンとして就職しました。ところが同じ栃木県でも、那須高原と違って夏がとても暑かったんですね。そうしたら夫が突然退職届を出してきて、「北海道に行くぞ」と。当時は漠然と自給自足生活がしたいと考えていて、夫が就職先を探した際に、トラクターの営業職なら農家を回るので、離農した農家や大きな土地を探しやすいのではないかと考え、海外のトラクターのディーラーに就職することにし、札幌へ移り住みました。

そうしてやってきた札幌ですが、私達にはあまりに都会過ぎて、すぐに転勤を希望して旭川へ引越しました。そこで3人目が生まれたんですが、旭川というのは冬の間、ずっと曇っているか雪が降っているかで、私は子育てのストレスもあり鬱々としてしまって。そこで、帯広への転勤の機会があったので再び移りました。帯広に来てからも何度か引越し、家も建てたんですが、5人目が生まれたタイミングで夫が、「さすがに子ども5人はサラリーマンでは食わせていけないから、会社を辞めた」と。当然ですが家のローンは払えなくなり、いま住んでいる芽室に農家の空き家を貸してくれる人がいたので移り、元の家は売りました。それが23年ほど前ですね。突然サラリーマンを辞めた夫は、前職で得たノウハウを元に、ヨーロッパで中古の農業機械を買い付けてきて販売する輸入販売業を始めました


質問 日本のメーカーもありますが、ヨーロッパ製の方が需要があるのですか?

北海道は土地が大きいので、本州の中古よりも、ヨーロッパの中古の方が使い勝手がいいのです。新品でも同様です。アメリカのものは大き過ぎて、イギリス・ドイツ・イタリアの方が丁度よい大きさなのです。また現在は大分追いついてきましたが、日本の農業機械はヨーロッパより30年ぐらい遅れていて、今でも最先端はあちらですから。

カフェの店内

質問 事業は順調にスタートしたのですか?

2人で起業したのですが、当初は現金収入がなく、私は朝と晩は酪農ヘルパーをし、昼間は夫の仕事を手伝うような毎日でした。牛の搾乳は朝と晩に行うので、酪農ヘルパーの仕事は昼間があいて丁度良かったんです。
事業が軌道にのるまでには、4~5年ぐらいかかりましたね。


質問 朝昼晩と仕事をし、その上で子育てをするのはあまりに大変では?

一番下の6人目が生まれてすぐに私の父が亡くなり、私は昔のことがあったので嫌だったのですが、夫に促され、母を呼び寄せて同居することになりました。子ども達と家のことは母がやってくれたので、私は外に出っぱなしでしたね。15年くらい同居しましたが、やはり私のトラウマが拭いきれず、その後は姉のところへ行きました。

私達が住んでいるのは農村地帯なので車は必須です。なので、子どもは自力ではどこにも行けない。義務教育はスクールバスが来てくれるのでいいのですが、高校に入学してからは、その送り迎えと仕事を両立するので大変でしたよ。6人いるので、同時に違う高校に送迎していた時期もあり、子どもがアルバイトをしてくれても、有り難いような、送迎を考えると迷惑というか(笑)。

カフェ開業は通過点

質問 子育てが一段落したことで、カフェを始めようと思ったのですか?

輸入販売業を始めた当時は、私が高校生のときに酪農実習でお世話になった方の倉庫を借りて小さくスタートしたのですが、3~4年後に工業団地に移転しました。現在は従業員も12人います。それで前々から、「50代からは好きなことをやって生きていきたい」と宣言し、仕事も徐々に半日に、月に数回にという風に減らしていました。

そして、一番下の子が大学進学で家を出るのと入れ替わりで、ホストファミリーとしてフランスからの高校生を1年間預かりました。それまで1週間ぐらい受け入れることは何度かありましたが、長期というのはなくて、ずっとやってみたいと思っていたんですね。下の子の巣立ちのタイミングに合わせて受け入れることで、さらに1年間、送り迎えとお弁当を作りましたね。
そのときに弓道も始めましたし、小学校からしていたけれども20年近くブランクがあったホーストレッキングも再開しました。

そして、元々料理やお菓子を作るのが好きで、一日中台所に立ちたいぐらいだったのが、子ども達が全員巣立ってしまったら、食べてくれる人がいなくなってしまって。それで誰かに食べてもらいたいと思っていたところ、去年になって夫から「もう仕事を辞めていいよ」と言われ、カフェを開業することにしました。


――カフェ開業は、子ども達のために料理をしていた延長だったのですね。

夫が脱サラして農家の空き家に住んでいた頃は、通帳が3桁になったこともあるぐらい貧乏で、あれこれ買えるような状況じゃなかったんです。農家の方も気の毒に思って、家庭菜園の野菜を玄関に山積みにしてくれて。地域に支えられて子ども達は育ち、私は私で、自分で何でも作るようになりました。肉まんだって、子どもには1個では足りないけど、手作りしたらたくさん食べられますよね。

ただ、私は元からカフェをしようと思っていた訳ではないんです。もし都会に住んでいたら、子ども食堂をしていましたね。農村地帯で子どもが一人で来れるような場所ではないので、カフェになりました。子どもに関わっていきたいから何かつながる手立てが欲しく、それにはまず何かをやらないといけないと考え、自分にできることを考えたらカフェだったんですね。
私には子どもに関わる資格とかは無く、自分や友達の子どもとしか接したことがありません。でも、自分が一番荒れていた時にポニーランドの方に救われ、そして酪農実習先の方に認められたことが私の原点にあります。だから、非行に走った子や傷ついた子を受け入れて、動物や土いじり、食事などを通して手助けしてあげたいなぁと。里親になることも考えているのですが、受け入れに伴う責任を考えると踏み切れなくて。まずは長期のホストファミリーをしたり、友人の子どもを預かったりすることで、自分をトレーニングしています。

私はあまり難しく考えずに感覚で動くタイプで、今のことしか考えていません。今できることを足元から積んできただけなんですよね。


質問 大島さんにとっては、カフェはまだ通過点に過ぎないんですね?

そうです、まだ途中です。カフェを始めたら、周囲からよく「夢を叶えたんだね」と言われますが、夢ではなかったです。

カフェの仕事

質問 カフェの仕事について教えてください。

私がやっているカフェはランチがメインで、週末だけ営業しています。
先ほどお話したように、50代からは好きなことをやりたいと考えていたので、月曜に弓道、火曜にホーストレッキングをするので、残りの時間でカフェを営業しようとすると、週末だけという形になりました。水曜に仕入れをし、木曜は仕込みをして、金・土・日にオープンしています。基本的に一人で行っていますが、営業日はバリスタの友達が飲み物を担当してくれています。


質問 カフェを開業するにあたって必要な資格やスキルはありますか?

何もないと思いますよ。私は子育てをしていて食べることの大切さに気づき、できるだけ手作りしてきたことで身に着いた料理の腕を活かしているだけです。

カフェを開業するには、保健所の食品衛生責任者の講習会を8時間ほど受け、あとは届けを出すだけです。私の場合は、自宅をリフォームして増築し、そこで営業しています。


質問 店名の「vind skov」の由来は?

「vind」が風で、「skov」が森です。日高山脈からのおろし風が強い地域なのと、私は森が好きなので、デンマーク語でつけてみました。
玄関のたたきにある「Velkommen」は、welcomeの意味です。


――インスタグラムで風景に馴染んだ庭と店舗の様子を拝見しましたが、素敵ですね。

ありがとうございます。庭は、イギリスで石積みの修行をされた方が積んでくれたものです。接着剤を使わず積むんですが、素人がやったら危ないのでイギリスで免許を取らないとやれません。

ここは1,500坪あって、離農した農家さんから15年ぐらい前に買いました。庭にはドックランも作ってあります。現在2頭の犬と2匹の猫と暮らしているんですが、うちはドックカフェではないので犬用のメニューはありませんが、店内に連れてきてもいいことにしています。なので、犬を連れた方が結構来店され、リピート率が高いです。インスタなどで犬つながりの知り合いが見て、来店してくれるんですね。


――犬を飼っている人のコミュニティでバズった訳ですね。都会ならまだしも、農村地帯でわざわざドックランに行くイメージがありませんが。

確かに北海道なら土地は広いですが、犬を飼っている方は、ドックランに行って仲間と遊ばせたかったりするんですね。また、犬と一緒に入れるお店が少ないから嬉しいようですね。私も色々な犬が見れて嬉しいですしね。

最初から犬連れのお客さんを狙った訳ではないんですけれども、もし犬連れの人がいたら、車で待たせるのではなく一緒に入ってもらえばいいかなと考え、各テーブルにフックはつけて用意していたんです。ドックカフェではないので、犬以外のペットを連れてきても構わないのですが、まだそういう方はいないですね(笑)。


質問 カフェを起業するにあたり優位なスキルやキャラクターはありますか?

カフェに直接関わることではありませんが、嘘はつかないことですね。これが大人になると結構難しいです。誰でも就職したときに、大人の理不尽さにぶつかりますよね。

あとは頑張らないことです。頑張れ頑張れとみんな簡単に言うけれども、一位がいたら必ずビリもいるから、子ども達にも頑張らなくていいと伝えています。実際のところ、頑張らないって、罪悪感があるから難しいですよ。
また、私は子どもの頃、成績が一つ上がったら褒めてもらえると思って親に見せにいくと、まず悪いところから指摘されました。ガッカリですよね。自分がされて嫌だったことはしないぞと思い、自分の親を反面教師として子育てしましたね。


質問 いま一番楽しいことは何ですか?

馬に乗ってる時と、犬と遊んでる時、そしてお客様にご飯を作ってる時ですね。
子どもが全員巣立っていったことで、お菓子は作らなくなり、夫と二人分のご飯は作るけれども本当は鍋に一杯作りたいんだよな…と思っていたのが、今はカフェでそれができるので、とても楽しいです。


質問 カフェを経営していて苦労されていることは何ですか?

北海道に住んでいるので、欲しいものや必要なものがすぐに手に入らないことですね。例えばスパイス。それでも、昔と違って今は楽天やアマゾンがあるので、とても助かっています。


質問 人生で大切にしていることは何ですか?

自分自身の心が潤うことですね。そうでないと人に優しくできないから、まずは自分自身からだと思っています。
人生を振り返ってみると、あまり自分が嫌なことはしてきていないと思います。自分のことは好きではありませんが、自分が好きなことをやっているなとは思います。

私は、好きなことを続けていたら仕事になったりすると思います。私達の世代よりも、今は色んな手段が増えていて、好きなことをやりやすくなっていると思いますよ。

ブランクを経て再開したホーストレッキング

質問 稼げますか?

自宅の改装などにかかった費用は回収できていませんが、日々の収支で言えば黒字です。まだまだ稼げるというには程遠いですが、続けていきたいね。

大島さんから、子ども達へのメッセージ

私は、いまで言う発達障害だったと思うんです。集団生活が苦手で、教室では椅子にも座っていられなくて、生きづらさを感じていました。一番仲良しだったのは用務員さんで、仕事を手伝っているうちに楽しくて授業を忘れてしまい、また先生に怒られるということを繰り返していました。

夢を持てと言われますが、夢がなくても大丈夫。好きなことを大切にしていけば、それがいつかどこかで仕事につながることもあります。

とにかく、食べることだけは忘れないでほしいと伝えたいですね。


大島さん、ありがとうございました!

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