儀間雅真さん(ハンター)
横浜から北海道へ移住し、猟師となった儀間さん。なかなか知り合うことのない珍しい職業で、仕事のお話は初めて聞くような内容ばかりでしたが、猟師と並行して民泊も運営されているため、複業という観点からも参考になるお話をたくさん伺うことができました。
立て続けにやりたいことを実行していく行動力の方ですが、サラリーマン時代は内向的で、休日はゲームばかりしていたのだとか。過去の自分を「見えない枠にはまっていた」と評する儀間さんは、移住し、起業して初めて、自分が気づかなかっただけで世の中には多くの選択肢があったと知ったそうで、子ども達にはもっと外にも目を向けて欲しいと言います。
そして、移住して大変ながらも前向きに仕事をしている人々との付き合いの中から、「生き生きと楽しそうに働く親の背中が、子ども達の仕事への前向きな意識を育てているように思います」と。子どもの未来を考えるなら、まずは自分が楽しく仕事をしましょうということですね。的確過ぎるアドバイス、この週末は自分の背中を見つめ直す時間にしてみましょう。
プロフィール
1987年生まれ。神奈川県相模原市出身。2016年に狩猟に興味を持ったことがきっかけで、地方移住に興味を持ち、 2017年に横浜から北海道足寄町へ移住。地域おこし協力隊として働いた後、2018年に民泊「GuestHouse ぎまんち」をオープン。現在は食肉処理業の許可を取得し、野生肉専門店「やせいのおにくや」で鹿肉の販売も行っている。
GuestHouseぎまんち
https://www.gimanchi.com/
やせいのおにくや
https://yaseionikuya.theshop.jp/
猟師の仕事
質問 横浜から北海道に移住して猟師となられたそうですが、きっかけを教えてください。
僕はこれまで空港の貨物や清掃、不動産業など色々な仕事をしてきたんですが、前職は美容室を運営する会社で総務の仕事をしていました。それまで、人と接する仕事が好きではなくてやってこなかったのですが、そこではコミュニケーションを取ることが求められたため、人と接する機会を増やそうと考えました。
それで、当時はmixiが流行っていたので、そのオフ会に参加するようにしたんです。そのころの僕は、休みの日は家でずっとゲームをしているタイプだったのですが、仲良くなった人が活動的な人で、沖縄だとかバーベキューだとか、よく一緒に連れて行ってもらっていました。そのオフ会で妻とも出会って結婚し、そこからより外交的になり、休日の趣味も変わっていきました。妻もお酒が好きなので二人でよく飲み歩いたのですが、僕はお肉が好きなので、変わった肉料理があれば食べていたんですね。そこからジワジワと、狩猟に興味を持つようになっていきました。映画を観てとか、本で読んでという訳ではなく、お肉を食べていて興味がわいてきたんです。
それでネットで調べてみたら、ちょうど狩猟がはやり始めていて。東日本大震災が契機となって、都市から地方回帰の流れがやってきたんですね。田舎に住んで農業をやる、酪農をやるという中に、狩猟も選択肢にあるような感じで。それで、僕もやってみようと思ったのが、猟師となったきっかけですね。
ちなみに、当時はジワジワと狩猟人気が高まっていったのが、コロナ禍で一気に人気が爆発し、今では狩猟免許の試験を受けるにも抽選が行われるようになっています。これまでは関東の方だけだったのが、最近では北海道でも抽選が行われるようになってきて、僕の周囲でも申し込んだけれども抽選で落ちましたという方が結構いるんですよ。
質問 ジビエを食べるのが好きでも、狩猟と肉の解体はセットなので、かなりハードルが高いと思いますが?
最初は少し心配でしたが、僕は意外と大丈夫でしたね。
狩りをするには狩猟免許を取らなければなりませんが、それとは別で、銃を手に入れるには警察の許可が必要なんです。そのため、狩猟を始めるには、数ヶ月単位の準備期間が必要です。ですので、いざ準備が整った時に、自分が頭で思い描いていたものと実際の猟や解体作業との間にギャップが生じる可能性もあったので、僕は既に狩猟をしていて見学させてくれる方をTwitterで見つけて、自分が平気なのかどうか事前に試しておきました。
質問 銃を手にするための許可というのは?
まずは講習会を受け、ペーパーテストの後に実技に進むのですが、この銃を撃つという段階に入る前に、公安委員会で身辺調査を受けます。これは1ヶ月くらいかかります。経歴書を提出しますが、同居親族や友人、近所の人、勤め人なら会社の人などが聞き込みを受け、銃を扱って大丈夫な人間なのか、事件・事故が起こらないよう確認がなされます。
――そうしてようやく銃を購入できるんですね。どこで売っているのか見当がつきませんが…
GoogleMapで「銃砲店」と検索してみてください。意外に近所にあるものですよ。僕も狩猟を始めてから検索してみたんですが、昔、通学路として通っていた場所にあって驚きましたから。
移住して民泊を開業するまで
質問 猟師になるのとは別に、北海道に移住したきっかけもあるのでしょうか?
狩猟に興味を抱いたときは横浜に住んでいたんですが、本格的にやるなら田舎に住んだ方がいいと思い、妻に相談してみました。そうしたら、妻は北海道の出身なんですが、Uターンをしたかったというのが分かり、それじゃぁ移住しようと。いずれは…というのではなく、1年以内には北海道のどこかに住む!と決めて、移住先を探し始めました。
そして東京都内であった北海道の移住イベントで、足寄町の移住サポートセンター職員と出会い、2泊3日の体験ツアーに参加しました。体験ツアーというのは、移住して何かを始めた人に体験談を聞いてまわったり、酪農家さんで酪農体験をしたりというようなものですね。
私達は、イベントでは5ヶ所の話を聞き、ツアーに参加したのは足寄町だけです。どこでも自然が豊かで食べ物が美味しいのは同じだと思うし、逆にこれだけ時間をかけて結局やらないというのが嫌だと思ったんですね。実際のところ、移住ってエイヤッ!という飛躍が必要で、移住先を何年も探している人ほど決められないように見受けられます。
質問 移住してすぐに猟師として生計を立てられるものでしょうか?
移住者を受け入れている市町村には、役割はそれぞれ違っても地域おこし協力隊というのが1~2人はいて、メジャーになってきています。要は国から予算がついて、それぞれの市町村で役割を決めて人を雇えるんですね。最長3年の雇用期間があるんですが、その中で地域に定着して貰おうというものです。僕も最初はそれで来て、活動していました。
そして起業したいと考えていたので、協力隊として給料を貰っている間に、何か立ち上げたいと。起業したいとは言っても、僕には稼げるようなスキルや専門知識がなく、それでも空き部屋を貸す民泊ならできるだろうと考えたんです。そうして、足寄町から来て約1年後にゲストハウスをオープンさせました。
移住して起業するにあたっては、自分の確固たる意志がないと厳しいですよ。行ったからといって、何かをしてもらえる訳ではありませんから。
質問 同じように地域おこし協力隊としていらした方たちは、どのような仕事をされていますか?
町では当時、農協が所有しているチーズ工場やイチゴのハウス農園で、人を雇いたいけどお金が足りないというときに、この予算を利用して雇うという使い方をしていました。地域おこし協力隊としての任期が終わっても、そのまま雇用するような形です。地域に残るという意味では、悪くない使い方だとは思いますが、本来の使い方ではないというか。
僕はそのなかで、初めて起業したんです。当時、協力隊が新しく何かを始めるというのは想定されていなかったので、最初はこういうことをやりたいですと言っても、それはちょっと…と断られる感じで。それをあちこちで相談して、今の状態にこぎつけました。今では起業する人も少しずつ出てきて、京都から来たパティシエさんがお菓子屋さんを始めたりしています。
質問 なぜ起業したいと思っていたのですか?
狩猟がしたくて移住してきましたが、もう一つ、企業などに雇われずに自分の力で稼いでみたいという願望があったからですね。
町にも昔ながらの宿は数軒ありますが、ほとんどがネット予約に対応しておらず、それに対応するだけでも、取りこぼしているお客さんを呼び込めると考えたんです。足寄町は帯広や釧路、北見などもアクセスしやすい立地で、観光の拠点としても使いやすいですから。
田舎は競合が少ないので、ちょっとした工夫で頭一つ出られます。家賃も安いですし、そもそも無いサービスが多いから、やるだけでも来てもらえる可能性があって。僕は田舎の方がチャンスがあると思いますね。
そして、民泊は年間の営業日数が180日までという制限があり、収入が頭打ちになってきたため、狩猟の方でもっと稼げないかと検討しはじめました。そして、ちょうど食肉処理業のために使えそうな物件が見つかったこともあり、許可を取得して食肉販売をスタートさせました。
――民泊業には日数の制限があるのですね。
1組でも来たら1日とカウントされ、180日を超えたら営業をストップさせないといけません。もしそれ以上営業したいと考えたら、簡易宿所とかホテル業などの別の許可を得る必要があります。ですが、必要とされる設備が違いますし、また現状の営業日数ぐらいが、ハンターの仕事とのバランスを取る上で丁度よいため、別の許可を得てまで営業日数を増やすことは考えていません。
自分がはまっている枠から抜け出す
――休日はゲームばかりしていたという話からは想像ができない行動力ですね。
こちらのインタビューでは、行動力のある人が多く登場していますよね。僕は、その方たちを参考にはしても、自分と比べないで欲しいと思いますね。
SNSも普及し、いわゆるデキる人を目にする機会が増えて、そうするとどうやったって自分との差を感じてしまう。そこから自分を切り離して考えることが大切です。
僕は学生のとき、進路を決める際に何をしたいか聞かれても、やりたいことが無かったんです。なんとなく、皆がこちらに行くからこっち、という。自分で選んだ進路ですが、今考えると、親や学校から与えられた選択肢のなかで選んでいただけだったんですよね。実際はもっとたくさんの選択肢があったと気づいたのは、北海道に移住してからです。自分の意志で住む場所をガラッと変えて、自分でやりたいことを仕事にして初めて、僕はサラリーマンとして何か良い成績を残した訳でもなく、単に勤務態度が良いだけだったなと気づきました。
学校教育自体がそういう仕組みだから仕方がないかもしれませんが、知らぬ間に枠にはまってしまっているんですよね。世の中にはいろんな職業があって、一人一人の正解は違うけれども、全体を見なければならない先生は、誰にとっても無難で安全なアドバイス、つまり、勉強して少しでもよい学校に行きましょう、よい会社に就職しましょうとしか言えないだけなのに。
――自分がはまっている枠に早く気づいて、早くその枠を取っ払えるといいですよね。
早ければ早いほど良いのでしょうけれども、気づいたタイミングがその人にとってのタイミングだと思いますよ。
僕が子どもの頃、周りの大人で楽しそうに仕事をしている人はいなかったんです。辛そうに出社していく親がいて、たまに面白い先生はいても大概はつまらなさそうで。
足寄町は酪農が盛んなので、酪農をやりたくて来る方が多いのですが、非常にキツイ仕事なんですね。365日、毎朝毎晩乳しぼりがあり、その合間に牛の世話をする。ほとんどは牛舎に牛を押し込めて育てるのですが、足寄町では放牧して牛を育てるのを推奨していて、移住者はそれがやりたくて来ている人達なので、本当に楽しそうにやっているし、非常に勉強熱心です。大人が楽しそうに仕事をしているから、そこに組み込まれているお子さん達も、楽しそうに仕事を手伝っていて。
その差は、やはり大人が見せる背中の差だなと思っています。そういう最前線で生き生きと仕事をしている大人と触れ合える機会があるだけで、子どもは仕事を前向きに捉えられる気がしますね。
質問 自分の人生で大切にしていることは?
人の意見に流されないこと、自分の意思をしっかり持って生きていくことですね。
今回移住することに対して誰からも反対意見がなかったんですが、実は誰かに反対されたかったですね。普通は賛成意見で背中を押してもらいたいと思うのですが、僕は反対意見をもらって反発したかったです。無理だと言われた方がやる気が出るんですよね、負けず嫌いなので(笑)。反対意見をもらったら、「へー、そうなんですねー」と聞き流してやっちゃうんです。
複業、二つの仕事を並行して行うというスタイル
質問 猟師と民泊の仕事を並行して行っていますが、仕事の流れを教えてください。
早朝と夕方に出猟し、エゾシカの狩猟を行っています。他にも狩れるものはありますが、肉としての販売を考えたときにシカが良いからですね。先ほど、狩猟の方での収入を増やそうと食肉処理業の許可を取得したと話しましたが、これは施設に対する許可で、シカを捕獲できたら、その鹿肉を処理する施設に搬入して精肉処理を行い、食肉として販売しています。主にネット販売で飲食店向けに卸しているのですが、最近は個人向けに、鹿肉のグリーンカレーといった商品も作っています。商品を開発する作業も楽しいですね。
そして、朝夕の狩猟の合間に、ゲストハウスの清掃やチェックイン対応を行っている感じです。
質問 狩猟した肉を売るためには、食肉処理業の許可が必要なんですね。
そうです。狩猟するだけなら狩猟免許だけでいいのですが、それを処理して食肉として販売しようとすると、食肉処理業の許可を取得する必要があります。
狩猟免許しか持っていない場合も、有害鳥獣駆除による報奨金がありますので、たくさん狩ることができれば食っていけます。が、報奨金額は地域で違いますし、高くてもシカがたくさん獲れる地域でなければ成り立ちません。また、駆除したシカは単に捨てることになってしまってもったいないですし、その処分にもお金がかかります。処分にかかる費用は自治体が負担してくれますが、税金を利用することになりますので。
食肉処理業の許可があれば、駆除で貰える報奨金に加え、食肉としての販売で利益を出すことができます。ただその場合は、販売するための肉をとった後の殻は、自分でお金を出して引き取って貰う必要があり、そこは自治体のサポートからはみ出てしまいますけれども。
質問 仕事をする上で、あると優位なスキルやキャラクターはありますか?
誰とでも仲良くなれることや、お酒が飲めることでしょうか。猟師として、また宿のオーナーとして、地域に溶け込めるかというのも大切です。宿でお客さんと仲良くなって、それが販路の開拓につながることもありますので。
コミュニケーション力は、あった方がいいですよね。
質問 この仕事をしていて楽しいことは?
エゾシカを獲る時に狙った通りの位置に着弾した時や、肉が苦手な人でも美味しいと鹿肉を食べてくれた時ですね。ハンティングの一番の楽しみです。また、お客さんと盛り上がって、一緒にお酒を飲んだりする時も楽しいですね。
質問 苦労されていることは?
エゾシカ の体重は成獣で60〜150キロくらいあるのですが、倒したあとはそれを一人で車まで引っ張る必要があるのですが、これがかなりの重労働で大変です。
質問 猟師と民泊の仕事とを上手に組み合わせている印象ですが、稼げますか?
まだ成長中ということもありますが、夫婦二人食べていく分にはまぁまぁという感じです。
僕は、1つの仕事に集中するよりは、広く浅くやる方が自分に合っていると思ったので、今の状態が程良いですね。宿をやろうと思ったのも、素泊まりであれば拘束時間は2~3時間で済みますし。またスケジュールを空けたければ、あらかじめ予約を取らないよう設定しておけば良いだけですので。
質問 今後の猟師の仕事の見通しと、その中で生き残るための自分なりの戦略を教えてください。
高齢化に伴ってハンター人口も減少傾向にあり、野生動物の農林業被害もあることから、地方でのハンターの役割は大きくなっていくと思いますが、稼ぐ手段の確立されていないことが課題となっています。
先ほどお話した通り、肉の販売には保健所からの許可を受けた施設が必要ですが、設備導入のコストを考えると、よほどの覚悟がないとできません。その中でリスクを取って鹿肉の販売業に漕ぎつけられたことは、狩猟者として地域で生きていくためには大きな一歩だったと思います。
これまでは主に飲食店向けに鹿肉の販売を行ってきましたが、コロナ禍を受けて個人消費をターゲットにした商品開発をしたり、今後も社会情勢に合わせて柔軟な形態に変化しながら、凝り固まらずに事業を行っていこうと考えていますね。
儀間さんから、子ども達へのメッセージ
学校では基本的に一つの問題に対して一つの正解を求められることが多いと思いますが、社会に出るとたくさんの正解があります。進路指導では、少しでもいい大学、会社に入るように勧められることがあると思いますが、世の中にはいろんな形で自分らしく幸せに暮らしている人がたくさんいます。そんな人たちの中には安定した収入がなかったり、休みがなかったりする人もいるのですが、それでも楽しそうに生きている人たちがいます。
僕は今、子供の頃には認識すらしていなかった仕事をして、想像していなかったライフスタイルを送っています。
大事なのは、自分はどう生きていきたいのかを知ることだと思います。
そのためには色んな大人の話を聞いてみてください。
儀間さん、ありがとうございました!