大竹ミキさん(花屋)

東京・町屋の路地裏に、通りになじんでひっそりと営業している「花やMOMO」さん。「ここを目指して来た人でも通り過ぎちゃうんですよー」と笑う店主の大竹さん。週末の3日間だけ開店するお店ですが、いつお邪魔してもお客様が訪れ、近所の方が覗き込んでは話しこんでいく、とても活気にあふれたお店です。厳選して仕入れた花の品質、種類、アレンジセンスもさることながら、とてもおおらかな大竹さんとの会話も付加価値の一つ。ちょっとした疑問や質問に、豊かな知識をおすそ分けしてくれて、丁寧な提案が得られる。一度訪れれば、顔見知りのお客様が途切れない理由がすぐに分かります。
そんな大竹さんのインタビューで判明したのは、花屋のみならず地域の様々な活動の中心人物だということ。「私は先頭に立って何かをやるタイプではない」とおっしゃいますが、その活動の幅は、いつ休むのかと心配になるほどです。
今回は、色々なタイプの花屋で勤めた大竹さんの経験談が満載で、「花屋になりたい」というお子さんだけでなく、「花屋になりたかった」というお母さん世代も楽しめる裏話が満載です。色々なことに挑戦してきてハートが強そうなのに、小心者で自信がなかったとおっしゃる本人目線のお話も、勇気を与えてくれます。

プロフィール

東京都立工芸高校を卒業後、日比谷花壇に勤める。退職して日本料理屋で仲居をしながら織物を学んだのち、青山フラワーマーケットを経て、友人と渋谷のマンションを借りて独立。その後、結婚し子育てに専念するため花の仕事から離れるも、2010年に「花やMOMO」を開業する。

Facebook: 花やMOMO
Instagram: 866momo

花屋の仕事

質問 花屋の仕事について教えてください。

私の花屋の仕事は、大きく3つに分けられます。
一つは店舗における花の販売ですが、普通の花屋とは違って金・土・日だけオープンし、平日は注文のみに対応しています。市場は月・水・金に開場するので、金曜日に仕入れてすぐに店頭に並べます。新鮮なうちに買ってもらえれば長持ちしますし、その花が家族が集う週末の中心にあるといいなと思い、こういう形態になりました。開店準備で忙しい金曜は2人体制ですが、土日は私だけで運営しています。
このお店は基本的に私の店なのですが、もう一人相棒がいます。彼女も以前花屋をしていて、やめて自宅でやっていたのを、場所があった方がいいということで融通し合って一緒にやっています。

二つ目は、週末で余った花を利用したフラワーアレンジ教室です。自ら主催するのは月3回ですが、区のエコセンターや生涯学習センター、カフェなど色々な場所でレッスンをしています。なので、週末だけの花屋とはいっても平日もフルで働いていて、休みは週に1日もありません。注文を断ればいいと言われることもありますが、花屋のお客様は「年に一度の誕生日や記念日に贈りたい」という場合が多く、私には断れなくて。どうしても無理な場合もありますが、お渡し方法を工夫して対応しています。

最後は学校や幼稚園への納入ですね。学校といえば、入学式や卒業式に飾る花や贈呈用の花のイメージだと思いますが、それ以外にも授業で使う野菜や花の苗、球根、肥料、プランターなども納入しています。こうして安定した売上になるものがあると心強いですよね。

どうして潰れないんだろう?と思うような街の個人商店も、肉屋なら売れ残りを惣菜にしたり、八百屋なら学校給食に納入したりと安定化を図っていますが、私もフラワーアレンジ教室や学校納入などで安定するように工夫しています。


質問 日々の仕事の流れを教えてください。

店頭で売る花を仕入れるのは金曜ですが、平日の注文分やレッスン用で不足するので、月・水・金と市場に行っていますね。
そうして花を買い付けて店まで運んだら、水揚げという花に水を吸わせるための作業を行い、販売します。
他にも配達をしたり、教室をしたり、打ち合わせをしたりと、忙しく動き回っていますね。

路地裏にひっそりとたたずむ「花やMOMO」

開店までの道のり

質問 子どものころから花屋に憧れていたのですか?

私は中学の時、OLにはならないなと思っていたので工芸高校のデザイン科に進み、日比谷花壇に就職しました。当時はデザインの仕事、中でもディスプレイの仕事がしたかったんです。ですが、当時は男性の仕事だと言われていて。お店が閉店してお客様がいない夜中にする仕事だから、女性には無理だと。あとは布にも興味があったのでテキスタイルの会社も考えたのですが、自分が作ったものに納得するまで作品を提出できないタイプだったので、「締め切りのある仕事は無理なんじゃないか」「もっと緩やかにデザイン力を使える方がいいんじゃないか」と当時の高校の担任に言われて。
そうして日比谷花壇の求人を見たときに、花で何かを表現するのもいいなと考え入社しました。なので、私の場合は「花が好き」とか「花屋に憧れて」といった理由ではなく、表現するツールとして花を選んだ形です。


――それで大竹さんのお店には何か世界観があるのでしょうね。

以前は、花は素材に過ぎず、自分が思うように扱うものだと考えていました。それがあるとき、「自然に咲いているように活けてみよう」と思ったらできなかったんですよ。フラワーデザインの世界で使われるテクニックを使わずとも、自然な感じに活けるのは誰でもできると思っていたのに…。その時、自分が植物をきちんと見ておらず、植物がどうありたいかを考えていなかったことに気づきました。そこから、植物には植物のありたい形があり、私が私の何かを形にしたいのなら、それは花でなくてもいいのではないかと思い、会社を辞めました。


質問 日比谷花壇ではどのような仕事をしていたのですか?

当時の私の配属先は「バンケット」と言って、結婚式場を担当する表には出ない部署でしたね。ホテルなどにある店舗とも違い、サービスセンターという色々な部署が集まっているところにあって。そこでは、普通の店舗にいるよりも、色々な経験ができたかなと思います。ウェディングショーや撮影の仕事もありましたし。
新婦用のブーケは本当にたくさん作りましたね、花の需要が増え、結婚式場での婚礼件数がピークに向かっていくところでしたから。その後に式場離れが始まり、レストランウェディングや、花をオーダーメイドする時代がきましたが、私が働いていた当時は、造花から生花のブーケに変わり、母の日にお花を贈る習慣が爆発的に広まった時期だったので、パンク状態でしたよ。


――日比谷花壇を退職した後は、機織りを学んだそうですが。

花ではないものをツールとして自分を表現してみようと、羊毛を紡いで機を織る学校に入りました。実は工芸高校に入ったきっかけも、見学したときに一人に一台機織り機があって、それをやってみたいと思っていたのに、私の代から機織りの授業がなくなって。その時の思いを引きずっていたのと、職人の世界を試してみたかったんですね。ですが、そこも色々とあって半ばで断念しました。
このときは、昼間に機織りの学校に行き、夜は日本料理屋で仲居の仕事をしていました。日比谷花壇では昼夜忙しく働いていたので、昼間の学校だけだと身を持て余したんです(笑)。


質問 その後、青山フラワーマーケットで再び花の仕事をするようになったのはどうしてですか?

長くやってきたので愛着がありましたし、「頑張ってやってきた」と胸を張れるものだったからでしょうね。やはり花に関わりたいなと仕事を探していて、青山フラワーマーケットに勤めることになりました。

お客様と対話で内容が決まっていきます

質問 忙しい人が、駅でササッと買えるように花束を並べているお店ですよね。表に出て売る側になったんですか?

私が勤めていたのは、まだ店舗がなくマンションで仕事をしていた時代で、歩合制の花職人というポジションでした。会社が受けた注文を、得手不得手を考慮して各職人に割り振るような形で。私は結婚式が得意だったので、レストランウェディングが多かったです。当時はガーデニングブームの手前、お花ブームの最盛期だったので、雑誌の撮影の仕事も多かったですね。前職とは違って、一つの仕事を自分だけで完結しなければならなくなったので、ここで花の仕入れも覚えましたし、必要に迫られて車の免許も取りました

その後、青山フラワーマーケットの時の同僚と、渋谷のマンションを借りて独立しました。どうしてそうなったのか今では覚えていませんが、勢いだったんでしょうね(笑)。よく渋谷を選んだなと思いますが、それまで仕事の拠点が表参道でお客さんもその周辺が多かったので、それ以外を考えられなかったんでしょうね。仕事の内容はそれまでと同じで、私はウェディング、同僚はガーデニングが強みでした。
それから、これは青山フラワーマーケットのときからですが、アレンジ教室もしていました。


――独立した後に、専業主婦になったそうですが。

独立はしたものの、その後に産まれた息子が極度の人見知りで、保育園に預けるのが忍びなくて。祖父母も同居しているのに、私以外には抱っこもさせない。もっと手がかからない子だったら、預けて働いていたと思います。それと、子どもを育てる脳みそと仕事の脳みそは全然違う感じがして、自分には両立できないと思いました。だから、子どもが小学校にあがるまでは子育てに専念しようと思って、虫やらザリガニやらを捕まえる毎日をおくっていました。当時、PTAの役員をしていたのもあり、花のスキルを活かせる機会があれば手伝っていましたが、「花屋(社会)にはもう戻れないかも…」と考えてはとにかく不安でした。


質問 子育てが一段落して、再び花屋を始めるまでの経緯は?

話が遡りますが、出産後に夫の両親と同居することになったんです。それまで開業していた時の資材を家で保管していたのですが、それを持ち込むのは不可能だったので処分する必要がありました。使ってくれる花屋さんが近所にないか探した時に、現在一緒に仕事をしている相棒に出会いました。それがきっかけとなり、いつからか彼女の仕事が忙しいときに手伝うようになったのですが、私にとってはリハビリとなったので助かりましたね。

そうこうしているうちに、私も自分で車をリースし、仕入れをして自宅で仕事をするようになりました。そしてそれも手狭になったので、屋根付き駐車場を借り、車だけではなく品物や資材も置いて。そうしたら、「駐車場なのに物をこんなに置くなら出て行ってくれ」と言われてしまって…。たまたま近所の町会長さんが古いアパートを所持していて、その一部屋に置いていいよと助けてくださり、急場をしのぎました。

そんな折、現在この花屋がある場所で古本屋を営んでいた友人が、ネット販売に移行するため閉店することになったので、ここを借りることにしました。当初は店舗にするつもりはなく、資材を置いて作業だけ行うつもりだったのですが、数ヶ月経ったときに、「ここを店舗にしてもいいかもしれない」と思うようになりました。
それでも“毎日”開店するつもりはありませんでした。今までと同じように「注文を受けたら花を仕入れて作る」という形でやりたくて。色々と考えた末、平日は今まで通りの仕事のしかた、そして週末だけ開店することで、季節ごとの色々な花を見て、花のことを知ってもらう場にしようと考えました。


質問 ここで初めて店舗型の花屋になったんですね?

そうですね。ただ、店舗はありませんが、それ以前にも「雑貨屋のガレージを利用して何かやらないか?」と誘われ、ママ友に向けて年に数回、寄せ植えの会をしていました。主婦だと基本的に自由に使えるお金がたくさんある訳ではないので、1週間で終わってしまう切り花よりは、子どもと一緒に育てて、長く愛でたり収穫できたりする方が嬉しいみたいだなと思ったので。これが結構ヒットして、2~3年ほどやりましたね。

この後に花屋を開業することになったのですが、このときのお客さんたちに開店のお知らせができましたし、PTAの役員をしたことで知り合いが増えていたのも心強かったですよ。「こんな路地裏で、よくお客さんが来るね」と近所の方たちに言われますが、ネットワークって大切だなと思いました。


――とてもスムーズに開店できたんですね。

たまたま波に乗っただけで、そもそも店を持つつもりもなく、駐車場が使えなくなって動かざるを得ない状況だったので、自分としては決断するのに苦しかったです。数字にも明るくないし、どれぐらいのお客さんが来てくれるか見当もつかなかったし、運転資金も特にないし。一か八かで、自信がないままやってきたので不安は常にありました。それでも、のん気にやっていける性格で助かったなと思います。

歳を重ねて思うのは、不安を持ちつつも思い切って挑戦する気持ちも大切だけど、そこまで気負ったり意気込まなくても良かったなと、何年も経て思えるようになりましたね。それから、以前は自分はここまでだろうと線引きをしていたのですが、今は自分に限界を作らないことにしました。肩肘張らずに、何でもやってみようと思っています。

「街なか商店塾」では子ども向けに花屋の仕事体験を提供している

思いを大切に行動していたら、想像しない形で実現していった

――下町花・フェス!クラシノmarket街なか商店塾など、色々な活動をされていますよね。

元々は、自己紹介ぐらいでも自分の番がくるまでドキドキしているタイプだったので、分からないものですね。

私にとって花は、人が幸せに暮らすためのツールだったのですが、花で心が満たされても、体の調子が悪いと幸せじゃないと気づきました。元々自分は添加物を取ると体調が悪くなるのですが、在来種の野菜の種の講座を受けたときに、これは毎日は無理でも定期的に食べたいし、周りの人にも食べて欲しいなと。そこからクラシノmarket(月1で無農薬野菜や菓子、作家作品などが集うマーケット)につながりました。

「MOMOの小屋」と呼んでいる場所で開催しているのですが、そこは私の花屋のお客さんがオーナーで、色々な会社に貸し出されてきた雰囲気の良いスペースです。ですが空き家になり、「いつ処分するかも分からない古い建物だから、安くするので花屋を移転しないか?」と持ちかけられたんです。ですが、今の場所で店が定着してきたところだったので、移転はできないなと。ただし、物置もあるような駐車場は探していたので、一部に荷物を置かせてもらって駐車場だけを借りることにしました。オーナーとは、小屋部分は何か地域のために使えるといいねと話しながらも、空き家の状態が続きました。
そんな折、ある展示会の片づけに行ったときに、使用した白い台は明日壊す予定だと聞き、もったいないと思ってオーナーに相談したら、小屋に置けることになりました。ですが、当時の私は駐車場の家賃は払えても小屋分を払うあてがなく、借りる決断ができなくて。そうして何ヶ月も置かせてもらううち、いくら何でも申し訳ないな…と、不安を覚えつつも借りることにしました。


質問 見通しがないのに借りたんですか。

本当に一大決心。そうなったら空き家にしておくのは経費がかかりますから、月1でマーケットを始めました。それまであちこちで花屋として出店して慣れていたので、ハードルが低かったんですね。
当初、マーケット以外では空いていた小屋も、固定で靴のお直し屋が入居し、アートを教える教室が入り…と、少しずつ定期的な家賃が入るようになっていきました。今では展示会やお話会、学校のOB会、筋トレ教室など、多様な借り手がついて、きちんとまかなえるようになりました。
加えて、コロナがきっかけで、ホテルへ卸していた水耕栽培の野菜の余りや、地方に住む家族が育てている野菜を売る人がいたり、介護職の方が話す場ができたり。色々な方が出入りすることで自然と交流が生まれ、本当に皆にとっての良いことが行われる場所になりました。当初の思いが図らずも形になって喜んでいます。

下町花・フェス!(小店をめぐるスタンプラリー)は、小さな店の間をお客さんが行き来して町が元気になる…というのを頭の中に思い描いていたら、本当にできちゃった(笑)。イベントをしようと考えていた訳ではなく、私には“思い”があっただけです。あちこちの店に顔を出すのが好きで、それで人のつながりができ、成り行きでスタンプラリーになった。私は元々が先頭に立って何かをするタイプではなく、手伝うことはあってもイベントなんて他の人がやることだと思っていたんですけれども。

他にも、別のマーケットの実行委員もしているし、区の空き家対策の集まりや、公園の花壇を維持管理するボランティアなどで忙しくしています。その時々で、気合いを入れなくてもやれそうなことなら何でもやってきた結果です。

多くの商店が参加する「下町花・フェス!」。スタンプを集めるとオマケが貰える。

花屋を目指す子へのアドバイス

質問 花屋をやるのに必要な資格はありますか?

特にはいらないと思います。もちろん、花屋をするには水揚げなどの知識や、アレンジメントや花束を作る技術が必要ですが、私は会社で働きながら覚えました。


質問 あると優位なスキルや性格は?

独特の世界観を持っていると良いと思います。漠然と花を売るのではなく、その人の個性が反映されたお花であれば、それに心を捕まれるお客様が出てきます。もちろん、束でたくさん売りたいというのもありだし、黒っぽい花ばかり集めているような花屋でも、ネイティブ系ばかり集めている花屋でも、独自性が大切だと思います。

そして相手の思いを察する力も必要です。注文する人が、どういう思いで何を贈りたいのか。加えて、花の思いも。私にとっては楽しい作業ですね。逆に出来合いの花束などは、何に向かって作っていいのか分からなくて、私は苦手です。

あとは、単にオシャレだからというのではなく、花を売ることで何を表現したいのかという、裏側にある思いも大切だと思うんです。
昔、子育てで大変だった時期に、美しい椿の木の下に落ちたばかりの花があり、家に持ち帰って器に水を張って浮かべました。それを見たとき、心の苦しい部分を花が吸い出してくれるような感覚を覚えたんです。それまでは、部屋に花があると心が安らぐと言うお客さんに対し、単にきれいで部屋が明るくなるからだと自分は捉えていたのですが、そのときに初めて、花が心を助けてくれることを知りました。それで、この感覚を皆に知って欲しいから、いい品質の花を手ごろな価格で買ってもらえる花屋をしたいと思うようになりました。そうして、植物が心にもたらす滋養を知れば、自然と外に咲いている花にも目がいき、虫や土の香り、日差しの変化といったことにも敏感になるだろうと。毎日忙しくしている家庭で育ったら、そういう経験ができなかったりしますから、そういう感覚を呼び覚ませる花屋になれたらいいなぁ…と思っています。


質問 花屋で苦労する部分は何でしょうか?

一番は、生ものなので時間との勝負で、作り置きできないことですね。母の日、お正月、卒業式などは、大体徹夜して作りますね。卒業式はどの学校も同じ日にやりますから、一気に作って一気に配る必要があり大変です。それでも、若いころにバンケットで鍛えられましたから、その経験が役立っています。

また生の花のために一年中冷やしておかなければなりませんので、寒さをしのがないといけません。水も扱いますし、とにかく冷えます。

時間という面では、私は息子が小学4年の時に店を始めたのですが、当初は午前3時に起きて太田市場まで行き、一旦帰宅して朝食を食べさせたら北足立市場の競りに出かけるということをしていました。パワーがありましたね、もう今はできません。

あとは苦労とは違うかもしれませんが、どうしたらお客さんに喜んでもらえるかは、常に考えています。世の中が自然と動くように花にも流行りがあり、私自身がやりたいスタイルも動いていきますしね。それは柔軟に対応していきたいなと思います。


――長く花屋をしてきて、いろんなブームを経験しているからこその知見ですね。

そうですね。少し前からはドライフラワーがブームです。結婚式のブーケにドライを選ぶ人が、既に出てきています。私達の世代には考えられないですよね!一番フレッシュなときに枯れた花を持つという、驚きの時代になりました(笑)。

小さな店内には所狭しと花が並びます

質問 稼げますか?

レッスンをしたり学校への納入をしたりなどで、定期的な収入になるのは助かっています。学校納入は、知り合いの一人の先生からだんだん広がっていったもので、私が特に営業した訳ではないんですけれども。
また、それらをしない花屋だとしても、花は1年を通じて母の日や彼岸、仏壇の花、クリスマスに正月、冠婚葬祭と色々な場面で求められますので、手堅い職種で良い商材だと思いますよ。

「こうあるべき」に縛られない

質問 大竹さんの天職のように思いますが、ご自身ではどう思いますか?

私は花屋になるつもりもなかったし、自分で店を持つつもりもありませんでした。
レッスンも嫌いでしたしね。青山フラワーマーケットの時代に初めてやりましたが、一般的なレッスンは1年間のカリキュラムを定め、形やそれに合う花材を決めます。この花を何本、これは何本…でこういう形に作ってくださいという具合に。それは自由度もなく、面白味がない。教える側の自分が嫌だったんです。 今の私のレッスンはテーマなどなく、私は最低限の指導をするだけです。花材も、店舗で売れ残った花から、多少のルールは設けますが生徒が自由に選びます。お店の花を使いますので、他のレッスンでは見られないような高い花が紛れ込んだりして、生徒の満足度も高いんですね。レッスン料も低く抑えられますし。これは生徒の自由度も高いだけじゃなく、私の心も縛られないし、無理なく何年でも続けられると思います。


――こうあるべきと縛られず、うまくいく方法を考えた結果ですね。

なるべく新鮮な花を選んでいるのもありますが、普通の花屋なら1週間ずっと開店している訳で、時間が経った花も並んでいます。私の教室は、売れ残った花とは言っても金曜に仕入れた花ですので、月・火のレッスンで使う分には何の問題もないのです。週末だけ開店して売れ残りをレッスンで使うというサイクルは、誰が損することもなく皆がハッピーになれます。

変なストレスを抱えないで、どうしたらもっと動けるか、色々なものをつかめるようになるかということを、よく考えるようになりました。当初は全てのお客さんに合わせないといけないと考えていましたが、そうするとお客さんが増えただけ疲れてしまいますから、自分らしさを受け止めてくれるお客さんだけでいいなと。そうしていたら、いつの間にか色々なことができるようになりました。


質問 自分なりの今後の生き残り戦略は?

私ならではの感覚を前面に出して、やっていきたいと思っています。

大竹さんから、子ども達へのメッセージ

「正解」はないのです!
自分を活かせる場所が、必ずあると思います。どうか好きなやり方で、好きなことをやってみてください!

そして親御さんには、子どもが転ばないように整えるのではなく、転んだときに立ち上がる術を教えてあげる気持ちで接してあげて欲しいなと思います。失敗しても大丈夫だよと言える場が家庭だといいですよね。


大竹さん、ありがとうございました!

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